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オットー・フォン・ハプスブルク 氏Otto von Habsburg

政治家[オーストリア→ドイツ]

(オーストリア・ハンガリー帝国の最後の皇太子)

2011年 7月4日 死去享年100歳

オットー・フォン・ハプスブルク - ウィキペディアより引用

オットー・フォン・ハプスブルク(ドイツ語: Otto von Habsburg, 1912年11月20日 - 2011年7月4日)は、最後のオーストリア皇帝カール1世と皇后ツィタの第一子で、長男。
オーストリア皇太子(1918年の帝政廃止によって身分喪失)。
ハプスブルク家家長(1922~1961年、あるいは1922~2006年)。
1930年代のオーストリアにおける君主制復活運動を指導し、ナチス・ドイツのオーストリア侵略計画に対抗した。
オーストリア併合の最大の障壁とアドルフ・ヒトラーに見なされ、そのオーストリア侵略計画は彼の名から「オットー作戦(ドイツ語版)」と呼ばれた。
第二次世界大戦中にはアメリカに亡命してフランクリン・ルーズベルト米大統領やウィンストン・チャーチル英首相と接触し、弟らとともにオーストリア解放に尽力した。
ドイツ、オーストリア、ハンガリー、クロアチアの市民権を持ち、欧州議会議員や国際汎ヨーロッパ連合会長を務めるなど、汎ヨーロッパ主義的に活動した政治家でもある。
第二次世界大戦中には「ドナウ連邦」樹立を、戦後は欧州統合を提唱した。
汎ヨーロッパ・ピクニックの中心人物の一人である。

関連作品

オットー・フォン・ハプスブルクさんが亡くなってから、12年と291日が経ちました。(4674日)