遠山正瑛 氏(とおやませいえい)
農学者、園芸学者[日本]
2004年 2月27日 死去享年99歳
遠山正瑛(とおやま せいえい、1906年12月14日 - 2004年2月27日)は、日本の農学者・園芸学者。
鳥取大学名誉教授(元:農学部教授)。
山梨県南都留郡瑞穂村新倉(後の旧下吉田町新倉、現・富士吉田市新倉)出身。
旧制山梨県立日川中学校(現:山梨県立日川高等学校)、旧制第二高等学校、京都帝国大学農学部卒業。
中国の2万ヘクタールの砂漠の緑化に成功し、その功績から毛沢東を除くと生前に中国国内で銅像が建てられた唯一の人物である。
来歴=
実家は浄土真宗本願寺派の寺院である大正寺で、6人兄弟の3番目として生まれる。
中学から猛勉強して、京都帝国大学農学部に合格。
卒業後は同大で助手として働いた。
1934年、28歳の時に外務省から中国大陸の土地と農業の調査研究留学の話を受ける。
留学先ではゴビ砂漠が農地を侵食し、作物が取れずに困窮したことで2000万人以上が餓死していた。
炊き出しのお粥一杯を求め、数十キロの行列に並ぶ人々の中の、現地の複数子供を持つ男性からの15歳の娘を30円(当時)で買って欲しいとの要求を拒否する。
二年後、日中戦争勃発で帰国命令が出て帰国。
1962年に京都大学農学博士。
論文の題は「砂丘地の特殊環境と適応作物の研究」。
1971年に定年退職。
翌1972年に日中国交正常化で日本国内に家族を残し、私財を投げ打って一人で訪中した。
中国政府も砂漠化を食い止められず、1930年代に村があった場所はゴーストタウンになって ……
遠山正瑛さんが亡くなってから、20年と268日が経ちました。(7573日)