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巨勢利和(こせとしまさ)

国学者歌人[日本]

(天保5年3月17日歿)

1834年 4月25日 死去享年68歳

巨勢 利和(こせ としまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本・国学者・歌人。
丹波亀山藩2代藩主・松平信直の四男。
諱は「としより」とも読む。
略歴= 明和4年(1767年)、誕生。
巨勢至親の養子となり、天明6年(1786年)に至親が没したため家督を継承した。
寛政元年(1789年)に使番として出頭した後、小普請組、小姓組、書院番の番頭を歴任した。
加藤千蔭や清水浜臣の元で学んで歌道を習熟し、千蔭の著作の序文を認めるなどしている。
浜臣の覚えは良かったらしく、彼の死後、蔵書の管理を委任された。
また『うつほ物語』の考究を推進し、『新治抄』10巻を認めるなどの業績を残している。
関連文献= 『江戸文人辞典』(東京堂出版) 典拠管理データベース VIAF 「https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=巨勢利和&oldid=86267926」から取得 カテゴリ: 巨勢氏形原松平氏江戸幕府旗本18世紀の国学者19世紀の国学者江戸時代の歌人18世紀の歌人19世紀の歌人1767年生1834年没隠しカテゴリ: VIAF識別子が指定されている記事 最終更新 2021年10月29日 (金) 14:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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