遠藤未希 氏
宮城県南三陸町危機管理課職員[日本]
(津波に飲まれる瞬間まで避難放送を続ける)
2011年 3月11日 死去津波享年25歳
遠藤 未希(えんどう みき、1986年7月18日 - 2011年3月11日) は、日本の地方公務員。
宮城県南三陸町職員。
東日本大震災発生時に、持ち場である南三陸町防災対策庁舎において地域住民に対して防災無線で避難を呼びかけ続け、庁舎が津波にのまれた際に殉職した。
宮城県本吉郡志津川町(現・南三陸町)出身。
経歴=
遠藤は宮城県志津川高等学校を経て、介護の仕事を志して仙台市内の介護専門学校に入学したが、母親の勧めもあって地元の宮城県南三陸町役場に就職した。
旧志津川町は頻繁に津波被害に遭っていたことから防災への関心は高く、2005年10月に合併して南三陸町となった後、危機管理課が新設されており、遠藤は勤続4年目の2010年4月に、この危機管理課に配属された。
彼女は震災の犠牲となるまで、4年間役場に勤めており、震災の当時は24歳であった。
2010年7月17日、専門学校で知り合った同年代の男性と入籍した。
両親の反対を押し切り、男性が婿養子となることを条件での結婚であった。
2011年9月に結婚式を挙げる予定であった。
東日本大震災=
南三陸町 防災対策庁舎跡
2011年3月11日、 東日本大震災発生時に、遠藤はいち早く、持ち場である南三陸町防災対策庁舎の2階で防災無線を使用し、防災無線で地域に避難を呼びかけ続け、自身は津波の犠牲となった。
庁舎の屋上に避難した約40人のうち、屋上にあったアンテナにしがみついて生存したのは佐藤仁町長らわずか11人であっ ……
遠藤未希さんが亡くなってから、13年と256日が経ちました。(5004日)