宇宿允人 氏(うすきまさと)
指揮者[日本]
2011年 3月5日 死去腎臓がん享年78歳
宇宿 允人(うすき まさと、1934年11月8日 - 2011年3月5日)は、京都府出身の指揮者、トロンボーン奏者。
旧名は山口 治だが、のちに婚家の姓を名乗り、宇宿 允人と改名した。
略歴=
京都市西陣で表具師の家庭に生まれ育つ。
京都市立西陣小学校から京都市立上京中学校を経て同志社高等学校に入学するが経済的理由で中退し、京都市立堀川高等学校普通科に転校。
同音楽科への転科を経て、1957年に東京芸術大学器楽科卒業後、ABC管弦楽団に入団。
翌1958年、トロンボーンの師である嶋昇の誘いでNHK交響楽団に移籍。
1960年から1968年までN響の首席トロンボーン奏者として活動。
傍ら、フルトヴェングラーの指揮する音楽と彼の人柄に感銘を受けて指揮者を志し、管弦楽法と指揮法を近衛秀麿に師事し、指揮者として東京佼成ウインドオーケストラを指導した。
この間の様子は、例えば筑摩書房「オーケストラの人びと」(原田三朗著)に記されている(当時山口と名乗っていた)他、ストラヴィンスキー客演の録画(大阪フェスティバルホールでのN響「火の鳥」)でも姿を見ることが出来る。
1962年、日本青年館で指揮者として初の自主リサイタルを開催。
演奏はABC交響楽団にN響の有志が加わった混成楽団であり、この演奏会でソリストを務めたピアニストの宇宿嘉余子と後に結婚した。
以後、労音主催によるABC交響楽団との指揮リサイタルを毎年行なうようになった。
1968年9月、指揮法とオーケス ……
宇宿允人さんが亡くなってから、13年と262日が経ちました。(5010日)