小崎登明 氏(おざきとうめい)
カトリック修道士[日本]
2021年 4月15日 死去享年94歳

小崎 登明(おざき とうめい、1928年3月1日 - 2021年4月15日[1]、本名・田川幸一[1])は、日本のカトリック修道士。
長崎の被爆体験者の一人[1][2]。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で死亡した聖人・マキシミリアノ・コルベの研究家として知られる[3][4]。
生涯=
日本統治下の朝鮮咸鏡北道羅津に生まれる[5]。
本籍は、長崎市外海町黒崎[6]。
父親は、隠れキリシタンの末裔で、カクレ・キリシタンの里といわれている長崎県・旧外海(そとめ)の出身。
遠藤周作文学館のすぐ近くに生家がある。
母親は、長崎市の浦上キリシタン。
羅津在住当時、町で唯一のカトリック信者であり[5]、その両親からカトリック信仰を受け継いだ[7]。
1935年(昭和10年)、羅津で精肉店を営んでいた父が急死[8][5]。
1941年(昭和16年)にカリエスを患い帰国し、[8][6]母親の実家である長崎市浦上へ移り住む[5]。
長崎医科大学附属病院(現・長崎大学病院)に1年半入院した。
退院後、大学の耳鼻科研究室の補助員を勤めた[8]。
1944年(昭和19年)より三菱兵器製作所の工員となり、長崎市郊外にあった三菱重工業長崎兵器製作所住吉トンネル工場(道ノ尾第六工場)で働く[8][9]。
1945年(昭和20年)8月9日の長崎原爆投下時には、爆心地から2.3キロメートル離れた住吉トンネル工場内で航空魚雷の部品を製造中に被爆[8][6]。
爆心地から約500メートル地点にあった岡町の自宅[9]は焼失し、母親は遺体も発見できな ……
小崎登明さんが亡くなってから、4年と78日が経ちました。(1539日)