稲垣武 氏(いながきたけし)
ジャーナリスト[日本]
2010年 8月5日 死去多臓器不全享年77歳
稲垣 武(いながき たけし、1934年(昭和9年)12月12日 - 2010年(平成22年)8月5日)は、日本のフリーランスジャーナリスト。
朝日新聞記者・『週刊朝日』副編集長を務めた。
略歴=
埼玉県生まれ。
終戦時は国民学校5年生で、教科書墨塗りを体験したと述懐している。
兵庫県立神戸高等学校に進み、中学生から高校生にかけてはアグネス・スメドレーやエドガー・スノーによる毛沢東伝『中国の赤い星』を貪り読み(伝説化した)延安時代の毛沢東の詩詞を暗唱できるほどにまでなった。
高校一年生時には日本共産党の青年支部民主青年同盟に加盟申請するも不認可となり、市会議員選挙で日本共産党候補の選挙運動に励んだ。
しかし選挙後大腸カタルで1週間ほど入院、入院中にフランス & 水野 (1950)を読んだことで退院とともに党活動を中止し、ブリントン, 岡 & 篠原 (1952)を読んだことや、20代間もない時期のハンガリー動乱で共産主義に対する幻想を捨てたという。
京都大学文学部西洋史学科を卒業して1960年(昭和35年)に朝日新聞社に入社。
地方支局、大阪本社整理部などに在籍したが、1960年代後半の文化大革命により毛沢東に深く幻滅。
1972年(昭和47年)に『週刊朝日』で副編集長を務め、以後出版プロジェクト室幹事、調査研究室主任研究員などを歴任し1989年(平成元年)に定年より繰り上げ退社。
退社後の1991年(平成3年)『諸君!』7月号より『朝日新聞血風録』を4回連載、古巣の朝 ……
稲垣武さんが亡くなってから、14年と100日が経ちました。(5214日)