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松平家乗(まつだいらいえのり)

戦国武将、岩村藩初代藩主[日本]

(慶長19年2月29日没)

1614年 4月8日 死去享年40歳

松平家乗 - ウィキペディアより引用

松平 家乗(まつだいら いえのり)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名。
大給松平家6代当主。
徳川家康の関東入部時に大名(上野国那波藩)となり、関ヶ原の合戦後に美濃国岩村藩主に転じた。
官位は従五位下・和泉守。
生涯= 白糸威胴丸具足(伝・松平家乗所用、東京国立博物館所蔵)。
天正3年(1575年)、大給松平家5代の松平真乗の長男として、三河国大給城で生まれた。
天正10年(1582年)、父の真乗が死去したため、8歳で家督を継ぐことになった。
天正12年(1584年)の長久手の戦いに際しては、家乗が幼少であったために、家老の松平近正が代理として大給松平家を率いて参加し戦功を挙げた。
また同年、尾張の蟹江城・前田城攻めの蟹江城合戦で滝川一益が立て籠った時には、家臣の河合帯刀が奮戦して大給松平家が功を挙げている。

天正15年(1587年)、13歳で徳川家康の前で元服し、偏諱を受け家乗と称した。
天正18年(1590年)、家康が関東に移封されると、上野国那波郡内に1万石の所領を与えられ、那波藩が成立した。
なおこの時、家老であった松平近正が家康の直臣に取り立てられている。
天正19年(1591年)、家康の奥州への出陣に供奉した。
家乗は那波に父祖の菩提寺として雄山伝英和尚を招いて、久昌山盛巌寺を開創した。
慶長元年(1596年)、従五位下・和泉守に叙任された。
当時家康の家臣で諸太夫は10人であったが、その一人に加えら ……

松平家乗が亡くなってから、410年と203日が経過しました。(149956日)

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