金嬉老 氏(キム・ヒロ)
犯罪者[韓国]
(「寸又峡事件」犯人)
2010年 3月26日 死去前立腺がん享年81歳
金嬉老事件(きんきろうじけん、キムヒロじけん)は、1968年2月20日に、在日朝鮮人(二世)の金 嬉老(きん きろう(キム・ヒロ)、改名後の本名:権 禧老(クォン・ヒロ)、1928年11月20日 - 2010年3月26日、事件当時39歳)が犯した殺人を発端とする人質事件である。
寸又峡事件とも呼ばれる。
籠城の様子がテレビを通じてリアルタイムで報道されたことで日本初の劇場型犯罪となった。
経緯=
1968年2月20日、金嬉老は借金返済を求める暴力団への返済を約束して静岡県清水市(現・静岡市清水区)の歓楽街にあるクラブ「みんくす」で暴力団・柳川組組員と面会した。
その場で暴力団員2人(未成年の少年1人を含む)に対しライフルを乱射して殺害し逃亡した。
翌日には、同県榛原郡本川根町(現・川根本町)寸又峡温泉の「ふじみや旅館」で経営者と宿泊客ら13人を銃で脅し、人質にとって籠城した。
金は、M1カービン用の30発弾倉を取り付けた豊和工業製の猟銃「M300」とダイナマイトで武装していた。
籠城すると、自ら警察に居場所を通報し、警察が民族差別について謝罪することを人質解放の条件とした。
88時間にわたる籠城を経て、2月24日に金は記者に変装した警察官に取り押さえられ、逮捕された。
旅館には、警察とともに、報道陣も詰め掛けた。
金は「わたしは昔から警察からひどい扱いを受けてきた。
これを世間に訴えるには、こうした騒ぎを起こし、新聞やテレビで取り扱ってもらう ……
金嬉老さんが亡くなってから、14年と192日が経ちました。(5306日)