中路融人 氏(なかじゆうじん)
日本画家[日本]
2017年 7月18日 死去ホジキンリンパ腫享年85歳
中路 融人(なかじ ゆうじん、1933年〈昭和8年〉9月20日 - 2017年〈平成29年〉7月18日)は、日本画家。
日展常務理事、日本藝術院会員、晨鳥社会長。
略歴=
1933年(昭和8年)京都府京都市に酒の小売業を営む中路豊三・きみの子として生まれる。
本名、勝博。
6人兄弟の4番目であった。
母は滋賀県神崎郡五個荘町(現・東近江市)の生まれで、幼時からしばしば滋賀を訪ねる。
1946年(昭和21年)旧制京都市立第一商業学校(現・京都市立西京高等学校)に入学。
その後、学制改革に伴い、京都市立洛陽高等学校付設中学校に転入することになる。
1949年(昭和24年)京都市立洛陽高等学校付設中学校卒業。
京都市立美術工芸高校絵画科(同校は京都市立美術工芸学校を1948年に美術工芸高校と改称し、旧制から新学制の切り替えに合わせ、この年に閉校が決まり、9月から京都市立日吉ヶ丘高等学校美術科となる。
現・京都市立銅駝美術工芸高等学校)に入学。
同校では勝田哲・天野大虹・川島浩・奥村厚一らが教鞭を執っており、教えを受ける。
初期に人物画を描いていたのは勝田の影響も少なくなかった。
1952年(昭和27年)京都市立日吉ヶ丘高等学校美術科卒業。
デザイン事務所に勤務し、テキスタイルデザイナーとして働きながら、作品制作をする(以後18年間、勤務を続ける。
のちに同事務所には中路を頼り竹内浩一ら後輩も入社)。
このころ、《祖母の像》を描く。
学校時代の模 ……
中路融人さんが亡くなってから、7年と126日が経ちました。(2683日)