花柳千代 氏(はなやぎちよ)
日本舞踏家[日本]
2021年 10月17日 死去享年98歳
花柳 千代(はなやぎ ちよ、Chiyo Hanayagi、1924年〈大正13年〉9月28日 − 2021年10月17日)は、日本舞踊家。
本名は田中チヨ子。
東京出身。
文化学院卒。
略歴=
1924年に商家に生まれる。
1930年の6月6日に日本舞踊の稽古を始める。
花柳応輔に教えを受け、1940年に花柳流より花柳千代の名を許される。
名取となり花柳寿輔、花柳昌太朗に師事した。
古典舞踊研究会にて若柳吉登代に舞踊師匠としての薫陶を受ける。
1945年11月14日に目白文化協会(会長:徳川義親)の後援により、徳川講堂で第1回の八千代会の勉強会を立ち上げる。
1951年に花柳千代舞踊研究所を設立した。
徳川義親から紹介された鈴木鎮一の才能教育の話に影響を受け、日本舞踊の基本練習の研究に取りかかる。
以後、東京新聞社主催の全国舞踊コンクールでは36回の指導者賞、門下生が15回の文部大臣賞を受賞した。
花柳千代舞踊研究所を主宰し、「日本舞踊の基礎を学ぶ会」代表を務める。
1975年 - 1981年に「舞踊の動きの比較研究会」を開催。
また1981年に「日本伝統芸能五人の会」(能・喜多長世(のちの喜多六平太、一時観世清和が参加)、狂言・野村万作、長唄三味線・杉浦弘和、囃子・堅田喜三久各氏)を結成し、UCLAに在籍していた雅楽の東儀季信も加わり、米国の大学など海外での公演をする。
1984年に現代舞踊の芙二三枝子、バレエの小林紀子と「目白三人の会」を設立し、豊島区の支援のもと東京芸術劇場などで公演 ……
花柳千代さんが亡くなってから、3年と35日が経ちました。(1131日)