坪山豊 氏(つぼやまゆたか)
シマ唄者[日本]
2020年 7月20日 死去老衰享年91歳
坪山 豊(つぼやま ゆたか、1930年〈昭和5年〉9月29日 - 2020年〈令和2年〉7月20日)は、日本の船大工、唄者。
奄美大島で唯一「板付け舟」を造る船大工で、奄美随一の唄者であった。
一般的には船大工としてよりもシマ唄名人として知られ、「新民謡」の作曲も行った。
経歴=
大島郡宇検村生勝の生まれ。
1949年に海老原万吉の工房に入門して舟大工の技術を学ぶ。
息子の良一も舟大工として知られる。
1972年に実況録音奄美民謡大会に出場。
唄者としては42歳での遅いデビューだったが、1980年に第1回奄美民謡大賞にて大賞を受賞、日本全国並びにアメリカ合衆国とヨーロッパを廻って奄美のシマ唄の伝道に努めた。
2020年7月20日、老衰のため奄美市内の病院で死去。
舟大工としての坪山=
一般にはシマ唄の唄者として知られる坪山であるが、伝統船舶研究の世界では奄美の伝統船建造技術保持者として極めて有名な存在である。
坪山はアイノコの考案者である海老原万吉に直接師事して舟大工の技術を学んだ人物であり、また1987年にはクバヤの再現も行っている。
このクバヤは現在は奄美市博物館エントランスでその勇姿を見ることが出来る。
(小早舟のこと)
坪山は当初、5年年季の契約で海老原の工房に入ったが、3年目から海老原の次男が製材業を開業すると、舟大工の見習いではなく製材業の仕事を手伝わされるようになった為、4年目が終わった時点で海老原の工房を出奔して実家に戻った。 ……
坪山豊さんが亡くなってから、4年と124日が経ちました。(1585日)