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ドミトリー・フェルケルザムDmitry Gustavovich von Fölkersahm

海軍軍人[ロシア]

(バルチック艦隊の副司令官)

1905年 5月24日 死去享年60歳

ドミトリー・フェルケルザム - ウィキペディアより引用

ドミトリー・グスターヴォヴィチ・フォン・フェリケルザム(ドミートリイ・フョリケルザム;ロシア語:Дми́трий Густа́вович фон Фёлькерзам、ドイツ語:Dmitri Gustawowitsch von Fölkersamドミトリ・グスタヴォヴィチ・フォン・フェルカーザム、1846年5月11日‐1905年5月24日)は、ロシア帝国の海軍軍人。
バルチック艦隊の副司令官だったが、日本海海戦の直前に艦上で病死した。
ドミトリー・フェリケルザム 経歴= フェリケルザムが司令官として乗艦した戦艦「オスリャービャ」 ドイツ系。
1867年に海事学校を首席で卒業。
同年4月士官候補生となった。
1869年、准尉。
1872年、少尉に任官。
1884年から1887年、フリゲート「ヴラジーミル・モノマーフ」乗組員。
1885年に中佐、1893年に大佐に昇進。
1895年から1899年、戦艦「インペラートル・ニコライ1世」艦長。
同時に1899年まで艦隊教育部長。
1899年12月、少将に昇進。
1900年、サンクトペテルブルクで艦砲委員会委員長。
1902年、バルト海艦隊砲術教育部長。
1904年の日露戦争の勃発後、旅順港で日本軍に包囲された第1太平洋艦隊の増援として、ヨーロッパから太平洋に回航されるジノヴィー・ロジェストヴェンスキーを司令官とする第2太平洋艦隊(いわゆる「バルチック艦隊」)が編成され、フェルケルザムはその第2戦艦隊司令官(副司令官格)に任命され、第2戦艦隊旗艦「オスリャービャ」に乗艦した。
1904年10月にバルト海を出港した艦 ……

ドミトリー・フェルケルザムが亡くなってから、119年と181日が経過しました。(43646日)

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