植村伴次郎 氏(うえむらばんじろう)
東北新社 創業者[日本]
2019年 10月15日 死去肺炎享年91歳
植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3月30日 - 2019年〈令和元年〉10月15日)は、日本の実業家、東北新社創業者である。
経歴=
1929年3月に秋田県由利郡東滝沢村(現:由利本荘市)前郷で生まれ、第二次世界大戦の終戦直前まで同地で育つ。
戦時中は、群馬県邑楽郡小泉町(現:大泉町)にあった中島飛行機の工場で学徒動員を経験した。
1945年3月に旧制本荘中学校を卒業する。
1950年代からは新橋にて「COMO」というバーを経営。
黒柳徹子など当時の若手俳優が集ったという。
1961年4月、海外番組の日本語吹き替えを制作する東北新社を創業し、以後代表取締役社長として長く経営した。
創業当初の東北新社は7人ほどで業務を担い、植村自らも吹き替えを演出するなどした。
1973年7月、海外映画の吹き替えに携わっている声優の待遇改善を求めて、俳優の労働組合である日本俳優連合がデモと抗議行動を行なった際に、経営者側の代表として厳しく対峙した。
その際に植村は週刊明星とのインタビューにおいて「役者などは無能であり、次から次に生まれてくる使い捨ての商品みたいなもの」と発言したため、組合側の激しい怒りを買ってしまった。
後に植村と組合が協議を行った結果、出演料を約3倍に増額することで妥結した。
東北新社で2003年6月に代表取締役会長、2009年6月に最高顧問となるが、この間オムニバス・ジャパン、二番工房、スター・チャンネルなどの代表取締役社 ……
植村伴次郎さんが亡くなってから、5年と38日が経ちました。(1864日)