小田久栄門 氏(おだきゅうえもん)
テレビプロデューサー[日本]
2014年 10月30日 死去享年80歳
小田 久榮門(小田 久栄門、おだ きゅうえもん、1935年(昭和10年)11月28日 - 2014年(平成26年)10月30日)は、日本のテレビプロデューサー。
テレビ朝日取締役編成局長、テレビ朝日映像、ビーエス朝日で社長等を務めた。
当時同局に在籍していた皇達也と共に、テレ朝の天皇の異名で知られた。
人物・経歴=
新潟県朝日村(現:村上市)で生まれる。
故郷で教師になろうと専修大学に入学。
ところが叔父がTBSに勤めていた関係で、大学3年のときからTBSでアルバイトするようになり、テレビの仕事が面白くなって、日本教育テレビ(NETテレビ。
後のテレビ朝日)開局の前年の11月に契約社員として入社し、翌年3月に正式入社となり、教養部に籍を置いた。
最初は『暮らしの医学』『美術サロン』など教養番組のアシスタント・ディレクターから始め、1963年(昭和38年)にはサウジアラビアを取材し、『アラブの赤と黒~世界に中の日本人~』という取材記録の単行本を執筆した。
海外取材に興味を持った小田は、続いて『世界の女』、『世界の王様』シリーズを制作。
昭和30年代の末期は海外にばかり出かけた。
「こうした海外取材の経験は、私に共同作業のやり方、人間関係の大切さを教えてくれた。
番組は決して一人では作れるものではないことを知らされた。
ベテランのカメラマンに映像のつかまえ方を実地に鍛えられた。
そして集団作業の中でのコミュニケーションのあり方を勉強した ……
小田久栄門さんが亡くなってから、10年と22日が経ちました。(3675日)