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清瀬一郎(きよせいちろう)

弁護士、政治家[日本]

(極東国際軍事裁判で東條英機の弁護人を務めた。)

1967年 6月27日 死去享年84歳

清瀬一郎 - ウィキペディアより引用

清瀬 一郎(きよせ いちろう、1884年〈明治17年〉7月5日 - 1967年〈昭和42年〉6月27日)は大正、昭和時代の日本の弁護士、法学者、政治家。
弁護士としては極東国際軍事裁判で東條英機の弁護人などを務め、また政治家としては文部大臣、衆議院議長を歴任。
学位は法学博士。
東京弁護士会会長。
従二位勲一等旭日桐花大綬章。
来歴・人物= 兵庫県飾磨郡夢前町(現・姫路市)出身。
弁護士としては小作争議裁判や思想事件等の他、特許事件を多く手掛けて著作物も多く、工業所有権法(知的財産法)の分野においては実務・学問の両面において草分け的な存在であった。
政界入りしてからは普通選挙運動の推進や台湾議会設置運動への支援、治安維持法への反対などリベラルな政治家として知られてきた。
しかし1930年代以降親軍派に転向し五・一五事件の裁判において、被告側の弁護人を務めた。
1945年の第二次世界大戦敗戦直後、この時点で依然日本国籍を有していた旧植民地出身者の参政権行使を恐れ、参政権を停止(実質剥奪)するよう主張した。
清瀬の主張もあり、同年12月の衆議院議員選挙法改正により、参政権停止は実行された。
→詳細は「戸籍法 § 旧植民地出身者参政権との関係」を参照1946年1月、戦前の親軍転向を理由にGHQから公職追放された。
極東国際軍事裁判では、日本側弁護団副団長と東條英機元首相の主任弁護人を務めたことでも知られる。
追放解除後も憲法改正 ……

清瀬一郎が亡くなってから、57年と148日が経過しました。(20967日)

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