太田一也 氏(おおたかずや)
火山学者[日本]
2025年 1月15日 死去慢性呼吸不全享年92歳
太田 一也(おおた かずや、1934年〈昭和9年〉12月14日 - 2025年〈令和7年〉1月15日)は、日本の火山学者、地質学者。
九州大学名誉教授。
専門分野は火山学、温泉学。
長崎県南高来郡国見町(現:雲仙市)出身。
九州大学理学部卒業、九州大学大学院中退。
九州大学理学部教授(1988 - 1994年)。
2015年時点では島原市弁天町に居住。
略歴=
1967年(昭和42年)、九州大学助手として長崎県島原市の「島原火山温泉研究所」(現・観測所)に赴任。
普賢岳の構造の分析や、温泉と火山ガスの研究調査を行った。
小浜温泉と雲仙温泉の違いに着目し、その泉質やガス成分の差異より、熱源となるマグマ溜まりからの距離によってこれらの変化が説明できるとした論文を発表。
「噴火しない火山」に満足できず、桜島や阿蘇山の観測隊にも参加していた。
1973年(昭和48年)には、それまで構造地形だと考えられていた長崎県橘湾がカルデラ地形であるとする千々石カルデラの概念を提唱した。
千々石カルデラの概念は当初疑問視され賛同意見が少なかったが、1990-1991年の雲仙普賢岳噴火後は太田の提唱を裏付ける観測結果が相次いだ。
1998年(平成10年)、九州大学理学部教授を退官。
島原半島ジオパーク協議会の顧問も務めた。
2025年(令和7年)1月15日17時15分、慢性呼吸不全のため島原市内の病院で死去。
90歳没。
死没日付で、従四位に叙され、瑞宝小綬章を受章した。
普賢岳噴火につい ……
太田一也さんが亡くなってから、78日が経ちました。