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久保田権四郎(くぼたごんしろう)

クボタ 創業者[日本]

1959年 11月11日 死去享年90歳

久保田権四郎 - ウィキペディアより引用

久保田 権四郎(くぼた ごんしろう、久保田 權四郎、明治3年10月3日(1870年10月27日) - 昭和34年(1959年)11月11日)は、広島県尾道市出身の実業家。
発明家。
久保田鉄工所(現クボタ)創業者。
前名・大出權四郎。
来歴・人物= 備後国御調郡大浜村(因島、現尾道市)の貧しい農家の末子として生まれる。
学校へはあまり行かず瀬戸内海を通る蒸気船に憧れ「いつかはあんな大きな船をつくる鍛冶屋に」と願った。
早く出世して両親に楽をさせてあげたいと15才の時、大阪市へ出て鋳物屋に丁稚奉公。
利発にして誠実、また器用で根気よく、節約して資金を貯め1890年、19歳の時早くも大阪市南区(現中央区)に「大出鋳物」を創業し、秤の分胴などを製造した。
この前後に父、母を亡くし余り親孝行は出来なかったが仕事に打ち込んだ。
世は文明開化以降、海外からコレラなど伝染病侵入の恐怖で、近代水道事業が急がれた時期。
これに使用する大量の鋳鉄管(合わせ目の無い大型の直管の水道管)に国産を採用することに決定はしたものの、過度の水圧がかかる鋳鉄管を製造する技術が無く不良品が相次ぎ、結局外国から莫大な大金を支払い輸入し続けていた。
1893年、権四郎も独力で鋳鉄管の研究・製造に着手。
多くの事業者がこれに取り組み撤退していく中、不撓不屈の精神で研鑽を続け、回転式丸堅込鋳造法などの発明により1897年、国産初の直管の鋳鉄管製造に成功、1900年には実用化に成功 ……

久保田権四郎が亡くなってから、65年と11日が経過しました。(23752日)

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