鹿内春雄 氏(しかないはるお)
フジサンケイグループ元会長[日本]
1988年 4月16日 死去享年44歳
鹿内 春雄(しかない はるお、1945年〈昭和20年〉5月15日 - 1988年〈昭和63年〉4月16日)は、日本の実業家、フジサンケイグループ会議第2代議長。
フジサンケイグループの創業者鹿内信隆初代議長の長男で、株式会社フジテレビジョン(現:株式会社フジ・メディア・ホールディングス)代表取締役会長、株式会社産業経済新聞社代表取締役会長、株式会社ニッポン放送代表取締役会長を務めた。
当時の愛称は「議長」。
日枝久(現 フジサンケイグループ代表)との二人三脚により、今日のフジテレビ、フジサンケイグループを創り上げた。
来歴・人物=
生まれ育った頃=
疎開先の北海道夕張郡由仁町に生まれる。
出生名は両親の名から一字ずつとった「信英(のぶひで)」。
幼少期はやや病弱だった。
母・英子は祈祷師へと傾倒し、母子ともに「病の原因を体内から吸い出してもらう」ことを習いとするようになった。
1952年4月、慶應義塾幼稚舎に入学。
普通部を経て、高等学校へ内部進学する。
その直前の1960年12月、信英は「春雄」と改名する。
改名がどのような意図で行われたのか、信隆がどう対応したかはいまひとつ判然としていない。
一部では、父・信隆の派手な女性関係で家庭が荒れ、その反感から改名したとの説もある。
高校一年時、日吉祭の実行委員長を務めた。
エスカレーター式に進学したもの、学業成績は低迷の度を増し、二年時に落第が必至となる。
1963年4月、慶應 ……
鹿内春雄さんが亡くなってから、37年と31日が経ちました。(13545日)