高木保之助(たかぎやすのすけ)
日本画家[日本]
1941年 8月16日 死去享年51歳
明治24年(1891)本郷湯島に生れ、34年より川端玉章に師事、39年には川端画学校に入つた。後感ずるところあつて東京美術学校に入学、大正8年に卒業、その後松岡映丘に師事して木之華社及び新興大和絵会の同人たり、帝展第1回より連年入選した。同9回「はまなすの浜」10回「夏の粧」はいづれも特選、昭和5年には推薦となつた。その後帝展、文展をはじめ、東台邦画院、国画院、日本画院等に連年出品、昭和12年国画院1回展の「燎乱の四季」は努力の大作であつた。昭和16年仏印巡回に本絵画展出品の「鬼罌粟」がその絶作となった。(引用元・日本美術年鑑 昭和17年版)
高木保之助が亡くなってから、83年と97日が経過しました。(30413日)