川上源一 氏(かわかみげんいち)
ヤマハ発動機創業者[日本]
2002年 5月25日 死去老衰享年91歳
川上 源一(かわかみ げんいち、1912年1月30日 - 2002年5月25日)は、日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)の第4代社長で、ヤマハ発動機株式会社創業者でもある。
来歴・人物=
本業の楽器製造に加えてオートバイ、スポーツ用品、レクリエーションなど各種事業を創業し、社業の業績向上と多角化に大きな成果を挙げてヤマハ中興の祖ともいわれる。
音楽や楽器演奏を身近にするためにヤマハ音楽教室を全国で展開して音楽教育の裾野を広げるほかに、『ヤマハポピュラーソングコンテスト』や『世界歌謡祭』などを開催して、1970年代から80年代のフォークソングとロックミュージックに功績している。
特に、アマチュア時代の中島みゆきを見いだし、浜松市にあった川上の自宅に中島を呼び出し「あなたはすごい詞を書く。
将来、詞で勝負するようなアーティストに育ってほしい」と称賛した。
中島が発表した全てのアルバムには、スタッフが記載されたクレジットに『DAD 川上源一』と記載されている。
葬儀の際に中島は「時代」を献歌している。
強烈な個性とワンマンぶりから「川上天皇」とも揶揄され、川上家は創業オーナーではないにもかかわらず父の川上嘉市から息子の川上浩まで3代続けて社長の座に就き、経営の世襲に批判も聞かれる。
年表=
1912年1月30日 静岡県浜名郡豊西村で、日本楽器製造社長を務めた川上嘉市の長男として生まれる。
幼少時から兵庫県西宮市、小学校4年からは ……
川上源一さんが亡くなってから、22年と180日が経ちました。(8216日)