真野善一 氏(まのよしかず)
工業デザイナー[日本]
2003年 12月20日 死去享年88歳
真野 善一(まの よしかず、1916年(大正5年)1月2日 - 2003年(平成15年)12月20日)は、日本のインダストリアルデザイナーである[1][2]。
東京府(現・東京都)出身[1][2]。
経歴・人物=
東京高等工芸学校(現在の千葉大学)卒業後[1][2]、商工省(現在の経済産業省)に入省し陶磁器の試験所にて勤務する[2]。
後に高島屋に入社し[1][2]、東京支社内の設計部に所属するも後に退社した[2]。
その後は職を転々としながら[2]、1950年(昭和25年)に卒業した千葉大学の教授として復帰した[1][2]。
翌1951年(昭和26年)には、創業者であり当時社長を務めていた松下幸之助からの招聘により、松下電器産業(現在のパナソニック)に入社し[1][2]、当時新設されたデザイン工業部門に所属した[1][2]。
後に冷蔵庫や扇風機、二次電池等多くの電化製品の設計に携わり[1][2]、同社部門の課長に就任した[2]。
1954年(昭和29年)に日本インダストリアルデザイン協会の理事長や[1][2]、1973年(昭和48年)には[1][2]、松下電器産業内の意匠センター所長を歴任する[2]。
1977年(昭和52年)には武蔵野美術大学の教授も務め[1]、1986年(昭和61年)の退職まで学生に対しデザイン授業を開講した。
受賞歴=
毎日デザイン賞 工業デザイン賞(1953年)- ノミネート[2]。
毎日デザイン賞 産業賞(1957年)- 真野が所属した工業デザイン部門意匠課として受賞[1][2]。
著書=
『木のとり』
真野善一さんが亡くなってから、21年と195日が経ちました。(7865日)