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影山光洋 氏(かげやまこうよう)

報道写真家[日本]

1981年 3月1日 死去享年75歳

影山光洋 - ウィキペディアより引用

影山 光洋(かげやま こうよう、本名:影山 正雄、1907年5月23日 - 1981年3月1日)は、日本の報道写真家である。
日暮里駅4番線での終戦後の買い出し列車(1946年 影山光洋撮影) 略歴= 静岡県浜松市に生まれ、若い頃から写真撮影に親しむ。
浜松商業卒業後、画光舎に勤める。
その後、東京高等工芸学校(現・千葉大学)に進み(一期生)、卒業後朝日新聞社写真部に勤める。
報道写真を中心に、戦前から戦後にかけて、日本の世相を写し続けた。
作品の対象となった事件性のある出来事としては、例えば、二・二六事件、南京陥落、山下・パーシバル会談などを挙げることができる。
写真の記録性を著しく重視し、その点を徹底したことから「記録の鬼」と呼ばれ、戦後はフリーカメラマンとして活動した。
代表作= 芋っ子ヨッチャンの一生 主要著書・写真集など= ある報道写真家の見た昭和30年史(影山光洋・雄鶏社・1955) 芋っ子ヨッチャンの一生(影山光洋・新潮社フォトミュゼ・1995) 影山光洋(日本の写真家14・岩波書店・1997)岩波書店による紹介 写真昭和50年史(影山光洋・講談社・1975) 昭和の女(影山光洋・朝日新聞社・1965) 古城にうたう(影山光洋・読売新聞社編・鹿島出版会発行・1966) 展覧会= 影山光洋写真展 知っていますか? 日本に戦争があった時代を(立命館大学国際平和ミュージアム、2003年) プレスカメラマンストーリー(Press Photographers' Story)(東京都写真美術館:2009年5月16日(土 ……

影山光洋が亡くなってから、43年と265日が経過しました。(15971日)

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