秦佐八郎(はたさはちろう)
細菌学者[日本]
1938年 11月22日 死去脳軟化症享年66歳
秦 佐八郎(はた さはちろう、1873年(明治6年)3月23日 - 1938年(昭和13年)11月22日)は、日本の医師、細菌学者。
医学博士(東京帝国大学医科大学)。
数百年に渡り、不治の病の筆頭として人類を苦しめて来た梅毒の、史上初の治療薬となったサルバルサン(砒素化合物製剤606号)を、ドイツのパウル・エールリヒ(エールリヒは、秦との共同研究以前の業績で1908年ノーベル生理学・医学賞を受賞していた)と共に開発し、多くの患者を救ったことで知られる。
秦は、1911年にノーベル化学賞と1912年・1913年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸した。
島根県美濃郡都茂村(現:益田市)出身。
生涯=
生い立ち=
島根県美濃郡都茂村(現:益田市)に、豪農・山根道恭とヒデの間の八男(十四人兄弟)として生まれる。
佐八郎は悪戯好きの少年であり、すぐ上の兄で2歳年上の藤七とよく遊んだが、乱暴狼藉が過ぎると、空いている大きな酒造りの樽に放り込まれた。
食事時になっても2人は容易に樽の中から引き上げてもらえなかったという。
母ヒデから「さあさん、ちょっと来てやんさい」と土蔵に呼ばれ、諭された逸話は地元では有名である。
14歳となった佐八郎は、山根家の姻戚である岡山市(現)の秦家の養嗣子に迎えられた。
代々医師の家系であった秦家には一人娘しかいなかったため、山根家の男子のうち特に頭脳明晰な佐八郎に白羽の矢が立ったものである。< ……
秦佐八郎が亡くなってから、86年と12日が経過しました。(31424日)