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歌川八重子(うたがわやえこ)

女優[日本]

1943年 9月13日 死去享年41歳

歌川八重子 - ウィキペディアより引用

歌川 八重子(うたがわ やえこ、1903年8月22日 - 1943年9月13日)は、日本の女優。
本名、深川 政江。
妹は女優の歌路英子。
映画監督の深川ひさしはいとこにあたる。
来歴・人物[編集] 妹の歌路英子(左)と共に(1929年頃) 兵庫県神戸市兵庫町に生まれる(東京市生まれとする資料もある)。
神戸市立女子商業学校を中退し(卒業とする資料もある)1918年(大正7年)神戸の聚楽館で井上浩一座のオペラを鑑賞したのがきっかけで、舞台に立つ。
その後井上の劇団「紅劇団」に入って満州・シベリアの巡業に参加するが、天津で劇団が解散。
天津のエンパイヤ劇場で公演をしていたロシア人舞踏家姉妹のもとで舞踏を学び、1920年(大正9年)に帰国して村田栄子の一座に参加。
1921年(大正10年)に日本歌劇協会の設立に参加する。
1922年(大正11年)松竹蒲田撮影所に入社し、『野の花』(監督:賀古残夢)で映画初出演。
島津保次郎の作品に出演するが、1923年(大正12年)に松本泰輔の相手役として、さらに松竹の看板女優である栗島すみ子と似ていた事情もあり、帝国キネマに移籍する。
松本とのコンビで多数の映画に出演、古巣松竹での岩田祐吉・栗島すみ子に引けを取らないコンビと評された。
1925年(大正15年)、帝国キネマの内紛により松本泰輔・松本英一たちと帝国キネマを退社。
アシヤ映画に参加するが、1926年(大正15年)アシヤ映画が帝国キネマと合併したのに伴い復帰する。
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推定関連画像

歌川八重子が亡くなってから、80年と318日が経過しました。(29538日)

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