ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクEugène Emmanuel Viollet-le-Duc
建築家[フランス]
1879年 9月17日 死去享年66歳
ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク(フランス語: Eugène Emmanuel Viollet-le-Duc, 1814年1月27日 - 1879年9月17日)は、19世紀フランスの建築家、建築理論家。
中世建築の修復、及びゴシック建築の構造合理主義的解釈で知られる。
生涯=
1814年パリの裕福な家庭に生まれた。
知識人を招いたサロンを開いていた母エリザベトや、その兄で美術評論家としてスタンダールやプロスペル・メリメらと交流のあった伯父ドレクリューズの存在もあり、幼い時から知的交流のあふれる教養的な家庭環境で育つ。
絵画に早くから才能を示したが、フランスの正統的な建築教育機関エコール・デ・ボザールを「建築家を鋳型にはめ込むもの」と批判し、入学を拒否。
その後はフランス各地を巡り、中世建築のデッサンなどに励む。
また、デッサン学校で教授代理として教鞭を執る。
1836年にはデッサン学校の教え子とイタリアを旅行した。
古典建築の傑作を賞賛するも、古典様式をフランスの風土や慣習を考慮せず無批判に再現しようとするボザールの姿勢に改めて疑問を持つようになる。
そして改めて、母国では無視されている中世ゴシック建築への敬愛を深めていく。
その後、メリメの推薦により古建築の修復に関わるようになり、1840年からのラ・マドレーヌ教会堂の修復を手始めに、パリのサント・シャペル、ノートルダム、アミアン、ルーアンの大聖堂など多くのロマネスクやゴシックの教会堂、城館 ……
ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクが亡くなってから、145年と65日が経過しました。(53026日)