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加茂公成 氏(かもこうせい)

テニス選手[日本]

2017年 1月6日 死去享年86歳

加茂公成 - ウィキペディアより引用

加茂 公成(かも こうせい, 1932年5月10日 - 2017年1月6日)は、東京都目黒区出身の男子テニス選手。
1955年の全米選手権男子ダブルスで宮城淳とペアを組んで優勝し、日本人のテニス選手として唯一の4大大会男子ダブルス優勝者になった名選手である。
父・国夫の指導で自宅コートで育った加茂4姉弟の末っ子。
早稲田大学卒業。
三井物産勤務を経て,テニスコンサルタント会社を経営。
身長171cm、体重70kg。
経歴= 加茂家は有名なテニス一家であり、姉の加茂幸子と兄の加茂礼仁も第2次世界大戦終戦直後の日本を代表する名選手であった。
「公成」という名前は、フランスの往年の名選手アンリ・コシェにちなんで命名されたものである。
公成は早くも1949年と1950年、全日本テニス選手権の混合ダブルス部門で、姉の加茂幸子と組んで2連覇を達成した。
公成は兄の礼仁と一緒に、早稲田大学庭球部で福田雅之助の指導を受けた。
加茂公成は1952年の全日本テニス選手権で初の男子シングルス決勝に進出したが、この時は隈丸次郎に完敗している。
1953年の同選手権で、加茂公成と礼仁の“兄弟対決”が男子シングルス決勝で実現し、弟の公成が 6-3, 6-2, 6-3 で兄にストレート勝ちし、初の全日本チャンピオンとなる。
1953年から、公成は男子テニス国別対抗戦・デビスカップの日本代表選手に選ばれた。
日本は第2次世界大戦の敗戦後、1951年からデビスカップの舞台に復帰したばかりで、当時のデ杯日本代 ……

加茂公成さんが亡くなってから、7年と319日が経ちました。(2876日)

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