アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンAdam Johann von Krusenstern
探検家、海軍提督[ロシア]
1846年 8月12日 死去享年77歳
アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン、イヴァン・フョードロヴィチ・クルゼンシュテールン(ドイツ語: Adam Johann von Krusenstern、ロシア語: Иван Фёдорович Крузенштерн、1770年11月19日 - 1846年8月24日)は、エストニア出身のロシア海軍提督であり探検家。
ロシアで最初に世界周航(1803年 - 1806年)を行った。
彼はこの航海で「日本海」を通り、後に彼が作成した地図には「日本海」を "MER DU JAPON" と記したとされ、「日本海」を最初に命名した人物として日本の百科事典類には記されている。
生涯=
クルーゼンシュテルンはエストニアのハグディ(Hagudi、現在のラプラ周辺)で生まれた。
彼の家族はバルト・ドイツ人だったが、スウェーデンの貴族でエストニアがロシアに割譲された後も当地に留まったvon Krusenstjerna家の子孫でもあった。
1787年、彼は海軍士官学校を出てロシア帝国海軍に入り、1793年から1799年までの間はイギリス海軍に派遣され学びながら軍務についた。
1803年、彼は皇帝アレクサンドル1世と露米会社支配人ニコライ・レザノフ男爵の支援下でロシア最初の世界一周艦隊の指揮官となった。
クルーゼンシュテルンの乗る旗艦ナジェージタ(Nadezhda)と、ユーリー・リシャンスキー|ユーリー・フョードロヴィチ・リシャンスキー中尉の乗るネヴァ(Neva)の2隻からなる艦隊の目的は、清および日本との交易の確立、南米との交易拡大、カリフォルニアをロシアの植民地にする ……
アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンが亡くなってから、178年と100日が経過しました。(65115日)