小中村清矩(こなかむらきよのり)
国学者[日本]
1895年 10月11日 死去享年74歳
小中村 清矩(こなかむら きよのり、文政4年12月30日〈1822年1月22日〉- 明治28年〈1895年〉10月11日)は、国学者・日本史学者。
姓は紀氏。
幼名は栄之助・金四郎・金右衛門・将曹と称した。
号は陽春廬(やすむろ)。
国文学者池辺義象はその養子(のち池辺に復する)。
生涯=
文政4年(1821年)年末、江戸麹町5丁目(現在の東京都千代田区)に生まれる。
父は三河国碧海郡西端村(現在の碧南市)出身の原田次郎八、母は美代。
父母に早世されたため、母の妹に養われ小中村家を継ぐ。
小中村家の出自は石清水八幡宮の神職で、江戸に下った小中村勘兵衛定治が商家を営んでいた。
天保5年(1834年)、名を清矩に改めた。
養父の歿後家業を継ぐ一方、学問を堀越開山・置賜晰斎・西島蘭渓・中村六右衛門・亀田鶯谷・伊能穎則らより受ける。
嘉永5年(1852年)、家業を次子文次郎に譲って学業に専念した。
安政2年(1855年)、本居内遠に入門。
安政4年(1857年)、紀州藩古学館教授となり、文久2年(1862年)、江戸番町の和学講談所講師となった。
明治2年(1869年)、太政官に出仕し、大学中助教に就任。
太政官制度の取調にあたった。
神祇官神祇権大史・神祇大史・神祇大録・教部省教部大録を経て、明治11年(1878年)、東京大学講師と、修史館御用掛になる。
翌明治12年、『古事類苑』編纂に従事し編輯主任を務めている。
明治15年(1882年)、東京大学教授・東京学士会院会員とな ……
小中村清矩が亡くなってから、129年と41日が経過しました。(47158日)