ラウール・クタール 氏Raoul Coutard
撮影監督[フランス]
2016年 11月8日 死去享年93歳
ラウール・クタール(クータール、フランス語: Raoul Coutard, 1924年9月16日 - 2016年11月8日)は、フランスの撮影監督、映画監督である。
ヌーヴェルヴァーグを支えた撮影監督である。
人物・来歴=
パリに生まれる。
学校では、化学を専攻しようとしていたが、授業料の少なくてすむ写真を専攻した。
1945年に徴兵され、第一次インドシナ戦争の戦地に赴く。
11年間ベトナムに暮らし、戦争写真家として働き、フリーランスとして『パリ・マッチ』誌、『ルック』誌に写真が掲載された。
1956年にピエール・シェンデルフェールから映画の撮影をしてみないかと誘われ、ドキュメンタリー映画『悪魔の通り道』で撮影監督としてデビューした。
1959年、シェンデルフェール作品のプロデューサーであるジョルジュ・ド・ボールガールが手がける新人監督の劇映画『勝手にしやがれ』のカメラを手がけて以来、同作の監督ジャン=リュック・ゴダールやその友人のフランソワ・トリュフォー、ジャック・ドゥミ、ジャン・ルーシュ、エドガール・モランら、ヌーヴェルヴァーグの映画作家と呼ばれる映画監督たちの作品を手がけた。
1970年に初めての監督作『ホア・ビン』を発表、同作で第23回カンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞、同作は第43回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
以降2作を監督し、いずれも日本で公開されている。
おもなフィルモグラフィ=
悪魔の通り道 (La Passe du diable) : 監督 ……
ラウール・クタールさんが亡くなってから、8年と13日が経ちました。(2935日)