寺島尚彦 氏(てらしまなおひこ)
作曲家、作詞家[日本]
2004年 3月23日 死去肺腫瘍享年75歳
寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年6月4日 - 2004年3月23日)は、日本の作詞家、作曲家。
洗足学園音楽大学教授。
次女はソプラノ歌手の寺島夕紗子。
経歴と人物=
栃木県出身。
開成学園在学中、大学受験を翌年に控えた年の暮れに開成出身の東京芸術大学教授池内友次郎と出会う。
池内から芸大受験を後押しされ、翌1949年に東京芸術大学音楽学部作曲科入学を果たす。
1951年、日本音楽コンクール作曲部門第3位。
卒業後もシャンソン音楽活動を継続し、1967年には、初めて訪れた沖縄に心を揺さぶられ、沖縄戦の悲劇を歌った代表作『さとうきび畑』を作詞・作曲したことで知られる。
ピー・プロダクション製作の特撮テレビ映画『スペクトルマン』の劇伴音楽も手掛けている。
2004年3月23日、肺腫瘍のため73歳で逝去した。
さとうきび畑=
→詳細は「さとうきび畑」を参照
この曲は「ざわわ ざわわ ざわわ」というフレーズで知られ、寺島尚彦が田代美代子のために作った曲である。
その後森山良子、上条恒彦、寺島夕紗子(上記の通り寺島の娘)、雨宮麻世、鮫島有美子、堀江美都子、郡愛子、錦織健、新垣勉、岡村喬生、ちあきなおみ、宮沢和史、夏川りみ、松浦亜弥といった幅広い年代、分野の幾多の音楽家によって歌い継がれてきたことで知られる。
NHKみんなのうたは森山良子バージョン(新旧2回ある)が有名だが、最初の放送時はちあきなおみが歌った。
2003年9月28日には、こ ……
寺島尚彦さんが亡くなってから、20年と243日が経ちました。(7548日)