山路芳久 氏(やまじよしひさ)
声楽家・テノール歌手[日本]
1988年 12月19日 死去心筋梗塞享年39歳
山路 芳久(やまじ よしひさ、1950年(昭和25年)6月17日 - 1988年(昭和63年)12月19日)は、1970年代から1980年代にかけてヨーロッパの歌劇場で活躍した日本のテノール歌手、音楽教育者。
生涯=
三重県津市に、警察官の四男(末子)として生まれる。
中学生の頃より声楽を学び始め、三重県立津高等学校を経て1969年(昭和49年)東京芸術大学音楽学部に入学した。
伊藤亘行、疋田生次郎に師事。
1976年(昭和51年)同大学院を修了した後は二期会に所属した。
翌1977年(昭和52年)にイタリア政府給費留学生としてローマ サンタ・チェチーリア国立アカデミアに進学。
1978年(昭和53年)ミラノ・スカラ座研究所に入る。
マニヨーニ、ファヴァレット、ブラスキに師事。
イタリア各地の声楽コンクールでも優秀な成績を収めた。
さらにスカラ座のオーディションに日本人男性として初めて合格し、1979年(昭和54年)にロッシーニ『モーゼ』での端役ながらスカラ座にデビューしている。
同年にはウィーン国立歌劇場の専属歌手となり、ヴェルディ『椿姫』アルフレードやドニゼッティ『愛の妙薬』ネモリーノを歌った。
世界の著名歌劇場で日本人テノール歌手が専属として主役を歌うのはこの山路が最初であり、日本声楽界にとっての快挙であった。
その後も山路は、上記レパートリーの他、ロッシーニ『セビリアの理髪師』アルマヴィーヴァ伯爵などリリコ・レッジェーロの諸役を中心にウィーンで活 ……
山路芳久さんが亡くなってから、35年と337日が経ちました。(13121日)