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葛西善蔵(かさいぜんぞう)

作家[日本]

1928年 7月23日 死去肺結核享年40歳

葛西善蔵 - ウィキペディアより引用

葛西 善蔵(かさい ぜんぞう、1887年(明治20年)1月16日 - 1928年(昭和3年)7月23日)は、日本の小説家である。
青森県中津軽郡弘前松森町(現・弘前市)で当時米の仲買業をしていた父・卯一郎、母・ひさの長男として生まれた。
姉二人(長女・いそ、次女・ちよ)と祖母・かよがいた。
1889年(明治22年)、一家は北海道に移住、弟・勇蔵が生まれる。
1891年(明治24年)、一家は青森県に移住する。
1893年(明治26年)、青森県五所川原小学校に入学するが、一家の転居にともない碇ヶ関小学校に転校する。
1902年(明治35年)、母・ひさが死去する。
上京し新聞売りのかたわら夜学に通う。
1903年(明治36年)、北海道にわたり鉄道の車掌や営林署で働く。
文学を志して上京し、東洋大学や早稲田大学の聴講生となるなかで、舟木重雄や広津和郎たちと知り合い、同人雑誌『奇蹟』のメンバーとして迎えられる。
1912年、『奇蹟』創刊号に「哀しき父」を発表して、作家としての力量を発揮した。
その後は、しばらく故郷と東京を往復しながら作品を書くも、生活は困難をきわめた。

かさいぜんぞう [生]1887.1.16.青森,弘前[没]1928.7.23.神奈川,片瀬小説家。北海道,青森県の各地を転々としたのち上京し,哲学館大学,早稲田大学英文科の聴講生を経て,1912年広津和郎らと同人雑誌『奇蹟』を創刊。処女作『哀しき父』(1912)には貧窮,一家離散,孤独,病気,耽酒などのどん底で,芸術的信念を貫こうとする個性のあり方を,とぼけたおかしみをもって追求するという生涯のテーマがみられる。出世作『子をつれて』(18)も,子を連れて街頭をさまようという貧乏話。自然主義の伝統を継いだ私小説に徹し,破滅型と呼ばれる苛烈な自虐的作品を相次いで発表したが,他方,超俗的な人生観照の姿勢が巧まぬ詩情とペーソスを漂わせている。主著『湖畔手記』(24),『贋物(にせもの)さげて』(17),晩年の愛人ハナが登場する『おせい』(23)以下の「おせいもの」,『蠢(うごめ)く者』(24)など。 (引用元 コトバンク)