葛西善蔵(かさいぜんぞう)
作家[日本]
1928年 7月23日 死去肺結核享年40歳
葛西 善蔵(かさい ぜんぞう、1887年(明治20年)1月16日 - 1928年(昭和3年)7月23日)は、日本の小説家である。
自身の貧困や病気といった人生の辛苦や酒と女、人間関係の不調和を描き、「私小説の神様」と呼ばれた。
来歴=
青森県中津軽郡弘前松森町(現・弘前市)で当時米の仲買業をしていた父・卯一郎、母・ひさの長男として生まれた。
姉二人(長女・いそ、次女・ちよ)と祖母・かよがいた。
1889年(明治22年)、家業不振により一家で北海道に移住。
1891年(明治24年)、一家で青森に戻り、青森町を経て五所川原村に移住。
1893年(明治26年)、青森県五所川原小学校に入学するが、母の故郷である碇ヶ関村への一家の転居にともない、碇ヶ関小学校に転校する。
親戚の質屋の手伝いをしながら『南総里見八犬伝』を愛読、文学に興味をもつ。
上京して新聞売りのかたわら夜学に通う。
母の死により帰郷、1903年(明治36年)、北海道にわたり鉄道の車掌や営林署で枕木採伐に従事。
1905年(明治38年)8月にふたたび上京、哲学館大学(のちの東洋大学)大学部第二科普通講習科に入学するも無届欠席により除名。
その後、浪岡村の地主の娘つると結婚。
友人の紹介で徳田秋声に師事、坪内逍遙に学ぶため聴講生として早稲田大学英文科の講義を受講、相馬泰三や広津和郎たちと知り合い、同人雑誌「奇蹟」のメンバーとして迎えられ(雑誌名の「奇蹟」は、広津や舟木重雄と井の頭公園に行 ……
葛西善蔵が亡くなってから、96年と121日が経過しました。(35185日)