リチャード・ジョーダン・ガトリングRichard Jordan Gatling
発明家[アメリカ]
1903年 2月26日 死去享年86歳
リチャード・ジョーダン・ガトリング(Richard Jordan Gatling、1818年9月12日 - 1903年2月26日)は、アメリカ合衆国の発明家。
世界初の製品化された機関砲であるガトリング砲の発明で知られている。
来歴・人物=
農夫で発明家でもあった父ジョーダン・ガトリングの息子として、アメリカ合衆国ノースカロライナ州コモ(Como)で生まれた。
21歳のとき蒸気船用のスクリューを発明したが、その少し前にジョン・エリクソンがスクリューの特許を独自に取得していた。
ガトリングは、漁師、裁判所書記官、教師、店主などの職を転々とした。
自前の店を経営していたころ播種機を発明し、それを製造・販売し始めた。
1845年にはこの発明で十分な利益が得られるようになり、その販売に専念するようになる。
1850年、天然痘にかかった経験から薬学に興味を持ったガトリングはオハイオ・メディカル・カレッジで医学博士の称号を得たが、卒業後は再び発明に興味が移り、医師として活動することは無かった。
1850年代前半にはビジネスで十分成功し、19歳年下でインディアナポリスの医師の娘だったエミマ・サンダースと1854年10月25日に結婚した。
なお、彼女の妹はインディアナ州知事を務めたディヴィッド・ウォレスと結婚した。
ガトリングは南北戦争初期に戦死者の多くが病死であることに気づき、彼の播種機の仕組みに基づいてガトリング砲を発明した。
1857年、彼は「1人で100人分の働きをできるような機 ……
リチャード・ジョーダン・ガトリングが亡くなってから、121年と269日が経過しました。(44464日)