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安田伊佐夫 氏(やすだいさお)

日本中央競馬会調教師[日本]

2009年 3月20日 死去病気享年66歳

安田 伊佐夫(やすだ いさお、1944年11月22日 - 2009年3月20日)は、宮崎県延岡市出身の元騎手・元調教師。
息子である安田康彦も元騎手で現在は競馬評論家。
来歴[編集] 馬事公苑時代の同期には清水出美・久保敏文・鹿戸明・久保田秀次郎・大崎昭一・笹倉武久などがおり、大崎とは同郷の延岡出身で上京する際の列車も同じであった。
1961年に京都・武田文吾厩舎の見習騎手となり、1963年3月にデビュー。
初騎乗は同23日の阪神第1競走アラブ4歳以上20万下・ハイ・ヒライワ(9頭中5着)で、初勝利はデビューから6ヶ月が経った9月28日の京都第7競走4歳以上70万下・オンワードスピードであった。
1年目はこの1勝に終わるが、2年目の1964年は8勝、3年目の1965年は初の2桁勝利となる16勝をマーク。
1965年7月10日には再開初日の新潟で騎乗し、第1競走3歳未勝利・オペレツタで見事に勝利している。
1967年から1978年まで11年連続2桁勝利を記録し、1969年に阪神3歳S・タニノムーティエでGI級レース・重賞初制覇。
平地の騎乗に専念し始めた1970年には2月1日の京都第2競走4歳未勝利・クニノハナで通算100勝、タニノムーティエで皐月賞・東京優駿の二冠を達成。
東京優駿は当時、ダービーポジションといわれた「1コーナーで10番手以内でないと勝てない」というジンクスを打ち破る後方待機策で差し切り勝ち。
1972年には自己最多の39勝を挙げ、自己最高の全国8位と自身唯一のトップテン入りを果たす。
1973年はきさら ……

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安田伊佐夫さんが亡くなってから、15年と129日が経ちました。(5608日)

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