小汀利得(おばまとしえ)
ジャーナリスト[日本]
1972年 5月28日 死去享年84歳
小汀 利得(おばま としえ、1889年(明治22年)12月3日 - 1972年(昭和47年)5月28日)は、日本のジャーナリスト、時事評論家。
第二次世界大戦前は中外商業新報(後の日本経済新聞)の記者で、経済部長、編集局長、社長を歴任、戦後はTBSテレビの座談会番組「時事放談」のレギュラー出演者として有名だった。
なお名前はしばしば音読みで「りとく」と呼ばれた。
来歴=
島根県(旧)神門郡に8人兄弟の三男として生まれる。
父は同郡川跡村役場に勤めるも、呑む打つ買うの道楽が過ぎて退職、一方母は素封家の娘で近在でも評判の働き者であったという。
早くから新聞記者を目指していた小汀は、酒屋などで小僧奉公の後、1906年に上京、当時は人気がなかった青山方面で真っ暗闇のなか新聞配達で学資を稼ぎつつ、国民英学会に一時籍を置いたりしながら正則英語学校、研数学館など複数校に通ったが、これらの学校では当時中学校卒業資格を得られなかったため、やがて早稲田大学の独特の資格試験に臨み、同大学予科入学。
1915年、同大学部政治経済学科(現・政治経済学部)を卒業した。
卒業後の小汀は衆議院議長島田三郎(立憲同志会)の議長秘書官を務め、島田が議長を辞した後は彼の選挙区・横浜の貿易会社に就職、勤務先が第一次世界大戦後の反動不況で倒産した後の1921年、ようやく念願の新聞社に入社する。
貿易実務を経たためか小汀の興味・関心は経済・金融分野にあり、彼は中外商業 ……
小汀利得が亡くなってから、52年と177日が経過しました。(19170日)