丸井太郎(まるいたろう)
俳優[日本]
1967年 9月6日 死去自殺享年33歳
丸井 太郎(まるい たろう、1935年11月24日 - 1967年9月6日)は、日本の俳優。
本名:石上 正治(いしがみ しょうじ)。
身長165cm・体重86.25kg。
東京府(現東京都)北区出身。
略歴=
東京都立第四商業高等学校在学中に俳優を志すが、演出家を志望するようになる。
そこから演劇グループを作り浅草吉田町の幼稚園を借りて演劇活動を行い、演出を担当。
丸井によれば高校在学中は痩せており、学校を卒業した後、規則正しい生活を行わなくなったことで太ってしまったと述べている。
高校卒業後、文学座舞台技術研究所に入る。
始めは演出部の仕事に携わっていたが、飯沢匡に気に入られ、裏方の仕事と並行して飯沢の書いた芝居に端役として出演。
研究所卒業が近づき、今後に備えて知人が務めていた大映に履歴書を提出するが、照明部員として文学座に採用される。
1年後に大映から審査通過の連絡が来たことから大映に入社。
デビュー作は『土俵物語』。
芸名は三角八郎とピン・ボケコンビを結成した際に永田秀雅から命名された。
三角とのコンビで喜劇映画に何本か出演するも芽が出ず、大部屋俳優として過ごしていたが、1963年にテレビドラマ『図々しい奴』の主役に抜擢された。
同作品への起用は枝川弘の推薦によるものとされる。
同作品は平均視聴率30%強・最高視聴率45.1%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)という大ヒットを記録して一躍人気者になり、テレビドラマのオファー ……
丸井太郎が亡くなってから、57年と77日が経過しました。(20896日)