エミール・デュ・ボア=レーモンEmil Heinrich du Bois-Reymond
生理学者、医師[ドイツ]
1896年 12月26日 死去血管硬変症享年79歳
エミール・ハインリヒ・デュ・ボア=レーモン(Emil Heinrich du Bois-Reymond, 1818年11月7日 - 1896年12月26日)は19世紀のドイツの医師、生理学者。
「エミール」が名前、「デュ・ボア=レーモン」が姓である。
動物筋肉中での活動電位の研究を行い、電気生理学の基礎を築いた人物の一人。
ベルリン大学生理学教室教授。
科学的研究と並び、生涯最後の20年間は科学史、芸術、哲学などの広く一般の問題についても論じた。
彼が行ったそうした議論の中でも最もよく知られているのは、人間が持ちうる世界認識の限界についての議論(『自然認識の限界について』)である。
経歴=
ベルリンで生まれる。
父親のフェリックス・アンリ・デュ・ボア=レーモンはスイスヌーシャテル州出身で、スイスで時計職人をしていたが、1804年にベルリンに移動し、しばらく後に公務員となり役所に勤めた。
母のミヌエット・アンリは、かつてフランスを追われたユグノーの末裔。
レーモンには兄弟2人、姉妹4人がいる。
数学者として有名なパウル・デュ・ボア=レーモンは弟。
家庭ではドイツ語とともに、フランス語も多く話されていた。
ベルリンにあるフランス語ギムナジウムで教育を受ける。
19歳でギムナジウムを終え、ボンの大学に進む。
当初はこれといった志望分野がなく、様々な分野の講義を手広く受講していた。
その後、ベルリン大学の生理学者ヨハネス・ミュラーの元で助手をしていたエズアル ……
エミール・デュ・ボア=レーモンが亡くなってから、127年と329日が経過しました。(46716日)