堀場雅夫 氏(ほりばまさお)
堀場製作所創業者[日本]
2015年 7月14日 死去肝細胞がん享年92歳
堀場 雅夫(ほりば まさお、1924年〈大正13年〉12月1日 - 2015年〈平成27年〉7月14日)は、日本の実業家。
株式会社堀場製作所創業者および同社最高顧問。
経歴=
京都帝国大学理学部教授の堀場信吉の長男として京都市に生まれる。
京都教育大学附属京都小学校・京都教育大学附属京都中学校(現:京都教育大学附属京都小中学校)、旧制甲南高等学校(現:甲南大学)を経て、1946年(昭和21年)京都帝国大学理学部物理学専攻卒業。
物理学者を志したが、在学中の1945年(昭和20年)に太平洋戦争が日本の敗戦に終わると、堀場の指導教授であった荒勝文策が日本の原子力爆弾開発の中心人物であったために、京大の原子力核実験施設はGHQによってすべて粉々に解体され、研究の道に進むことを断念する。
自前で研究施設を創るために1945年(昭和20年)10月、堀場無線研究所を創業。
これは1953年(昭和28年)1月設立の現在の堀場製作所へとつながることから、学生ベンチャーの草分け的存在とされる。
自身を「あきらめの早い人間」と規定し、経営においては「飽き性こそが大切」と強調する。
これはベンチャー経営者として、常に時代の情勢や市場の動向と切り結び、売り上げを伸ばし、利益を上げるための資質であると分析する。
大浦政弘(のち堀場製作所社長)が自動車排ガス測定装置を堀場の断りなしに製作した際には「死刑に値します」と激怒したが、それが売れるとなると主力商品とする点は、 ……
堀場雅夫さんが亡くなってから、9年と131日が経ちました。(3418日)