安田幸吉 氏(やすだこうきち)
元プロゴルファー[日本]
2003年 10月6日 死去肺炎享年99歳
安田 幸吉(やすだ こうきち、1905年3月1日 - 2003年10月6日)は、東京都荏原郡駒沢村(現・世田谷区)出身の元プロゴルファー。
来歴=
農家の四男。
当時の駒沢村は呑川という小川の周りに僅かな水田と畑があるだけで、高低差のない雑木林や竹林が広がっていた。
1913年に生家から200mの場所に東京ゴルフ倶楽部駒沢コースが出来た。
現在の駒沢オリンピック公園の場所にあたり、2頭立ての黒い馬車で、皇族、華族、財界トップ、外国人らがやってきた。
小学4年生の安田はキャディ見習になっていたが、小遣い稼ぎより行儀見習のつもりで、仲間に浅見緑蔵がいた。
1917年には小学校卒業と同時にキャディマスターとなり、給料は当時としては破格の20円であった。
この頃、ゴルフルールの日本語訳に尽力した大谷光明の専属キャディとなる。
1920年には来日したアメリカ人プロのトム・ニコルからゴルフクラブの造り方を教わり、後の安田ゴルフ製作所を立ち上げる技術を身に付けた。
昭和天皇に献上のパターを造ったのもこの頃であった。
17歳から客との同伴プレーを許され、レッスンなどプロとしての活動をスタートし、関東ではプロの先駆けとなる。
20歳になった1925年には赤星六郎がアメリカから帰国し、本物のゴルフに触れた赤星から小柄ならインターロッキング・グリップが良いと教えられ、生涯変えることがなかった。
1926年の第1回日本プロでは、優勝が宮本留吉、安田は4位であった。
安田幸吉さんが亡くなってから、21年と47日が経ちました。(7717日)