片山豊 氏
日産自動車米現地法人初代社長[日本]
(フェアレディZ生みの親)
2015年 2月19日 死去心不全享年106歳
片山 豊(かたやま ゆたか、1909年(明治42年)9月15日 - 2015年(平成27年)2月19日)は、日本の企業家である。
長男は元サッカー選手で1968年メキシコシティーオリンピック銅メダリストの片山洋。
経歴=
静岡県周智郡気多村(現・浜松市天竜区春野町気田)で生まれる。
日産自動車創業者の鮎川義介の親戚にあたる。
現在の鎌倉市立第一小学校から旧制中学校の神奈川県立湘南中学校、慶應義塾大学予科を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業後、1935年(昭和10年)に日産自動車へ入社。
当初は設計部門の配属を希望していた。
戦前は国内で宣伝を担当した後、満州国に赴任。
戦後は日本に戻り、再び宣伝を担当。
日本での自動車ショーの開催を発起し、1954年(昭和29年)の東京モーターショー(当時の名称は全日本自動車ショウ)初開催に尽力。
東京モーターショーのシンボルマークとなったギリシャ神話の青年が車輪を持つ姿を考案した。
また軽自動車の祖とも言われるフライングフェザーを仲間たちと住江製作所(現・住江工業)へ製作させたが、当時は日産の子会社だった同社へ自分の趣味で作らせたことで上司に大目玉を食らってしまい、一時は退職を考えていたと述べている。
1960年(昭和35年)に渡米。
主にロサンゼルスを中心に、ディーラーに飛び込みでダットサンを売り歩く。
これに対し、日産本社の反対勢力は米国での拠点をニューヨークに置く計画を進めて圧力をかけるが、 ……
片山豊さんが亡くなってから、9年と276日が経ちました。(3563日)