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栄久庵憲司 氏(えくあんけんじ)

工業デザイナー[日本]

2015年 2月8日 死去洞不全症候群享年87歳

栄久庵憲司 - ウィキペディアより引用

榮久庵 憲司(えくあん けんじ、1929年9月11日 - 2015年2月8日)は、日本の工業デザイナー。
GKデザイングループ創設者。
静岡文化芸術大学名誉教授。
RiM-fにあった栄久庵憲司展示室 GKインダストリアルデザイン研究所所長、世界デザイン機構会長、第4代桑沢デザイン研究所所長、静岡文化芸術大学デザイン学部学部長などを歴任。
来歴= 生い立ち= 東京府生まれ。
ハワイ、広島県育ち。
両親は広島の出身で僧侶だった。
榮久庵祥二元日本大学芸術学部教授は弟。
父の跡を継ぐため1945年、江田島の海軍兵学校から原爆が投下された8月の終わりに広島市へ入る。
実家の戒善寺は爆心地から500メートルのところにあった。
焼け野原に焼けただれた寝台の枠や鉄かぶと、自転車、路面電車が壊れてひっくり返っていた。
消えようとしているモノたちの助けてくれと言う叫び、一方で四輪駆動のジープに乗ったGIのポケットには、チューイングガムやチョコレート。
モノ不足は辛く、進駐軍がユートピアに見え、壮絶な地獄絵とモノへの憧れが重なった。
父の跡を継いで仏門に入ろうとした時期もあったが、この体験が榮久庵をデザインの世界に向わせた。
1952年、東京藝術大学在籍中に同大学教授の小池岩太郎のもとで、友人とともにアルバイトグループGK(Group of Koike)を設立、後にデザイン会社に発展した。
当時、ビジネスの世界では、デザインという概念・価値はまったく認知されていない時 ……

栄久庵憲司さんが亡くなってから、9年と287日が経ちました。(3574日)

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