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石井光三 氏(いしいみつぞう)

芸能プロダクション「石井光三オフィス」会長[日本]

2015年 1月6日 死去胆管がん享年85歳

石井 光三(いしい みつぞう、1931年〈昭和6年〉10月13日 - 2015年〈平成27年〉1月6日)は、東京府出身の俳優・タレント・芸能プロモーターである。
自分の名前を冠した芸能事務所・石井光三オフィスの社長・会長を務め、テレビ出演等では石井社長として親しまれた。
来歴・人物= 生まれは東京であるが、主に大阪で育ち、その為話す言葉は大阪弁である。
大阪産業大学附属高等学校を卒業。
1939年に子役としてJO京都撮影所(旧東宝京都)に入所。
1946年、東横映画京都第1期ニューフェイスとなる。
1952年からは漫才作者の秋田實が主宰する宝塚新芸座に在籍していたが、1963年にタレント引退。
松竹芸能社員として裏方に転身。
ミヤコ蝶々・南都雄二・かしまし娘らのマネージャーを務め、1977年に松竹芸能から独立。
かしましプロダクション(後の石井光三オフィス)を設立し、コント赤信号・ピンクの電話・チャイルズなどを育てた。
コメディアン、俳優としても活躍していたレオナルド熊と共に『劇団七曜日』を立ち上げ、若手お笑い系役者の登竜門的存在になった。
主な劇団員にデンジャラス、近藤芳正、磯野貴理子などがいる。
芸能マネージャーの中においても、タレントの売り込みのための押しの強さ、挨拶のやかましさなど、彼の強烈な個性は業界内でもインパクトが強かった為、内輪ネタとして所属タレントのラサール石井に『オレたちひょうきん族』などでものまねされ(『ひ ……

石井光三さんが亡くなってから、9年と320日が経ちました。(3607日)

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