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関弘子 氏(せきひろこ)

女優声優[日本]

2008年 5月11日 死去肺炎享年80歳

関弘子 - ウィキペディアより引用

関 弘子(せき ひろこ、1929年〈昭和4年〉7月30日[3] - 2008年〈平成20年〉5月11日)は、日本の女優、声優。
東京都出身[3]。
母親は声楽家の関種子、夫は観世流能楽師の観世寿夫[4]。
略歴= 自由学園卒業[1]。
1947年、劇団俳優座に研究生(1期生)として入座[5]。
1952年、俳優座養成所卒業[1][5]。
1954年に俳優座を退団し、劇団青年座の立ち上げに参加[1][2][3][5]。
1956年に青年座を退団[5]。
フリーランスとなり[3]、プレーヤーズセンター[3]、三木事務所[5]、プロダクション・エムスリー[6]、おぎいくこ事務所に所属していた[1]。
1962年から1969年まで、自主公演『わざおぎのふるさと』を連続上演し、1964年の新劇演技者特別賞を受賞した[2]。
1969年(昭和44年)に観世寿夫と結婚。
1970年に冥の会を立ち上げた[2][4]。
能を始めとして様々な舞台やドラマなど数々の作品に出演。
朗読(劇)・語りの第一人者として活躍し、朗読指導にも力を注いだ。
西武池袋コミュニティカレッジや朝日カルチャーセンターなどで講師も行い、声と言葉の教室千声会を主催[2]。
源氏物語全巻を平安時代当時の発音(日本語#音韻史を参照)で朗読したCDを自主制作。
1981年には近松門左衛門の原文での語りで第16回紀伊國屋演劇賞を受賞した[1][2]。
2008年5月11日、肺炎のため死去[7]。
78歳没。
人物= 声種はソプラノ。
特技は朗読、能、日本舞踊[1]。
出演= テレビドラマ= 本日休診(1953年版) 孤独の賭け(1963 ……

関弘子さんが亡くなってから、17年と52日が経ちました。(6261日)

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