山崎方代 氏(やまざきほうだい)
歌人[日本]
1985年 8月19日 死去肺がん享年72歳
山﨑 方代(やまざき ほうだい、1914年(大正3年)11月1日‐1985年(昭和60年)8月19日)は、日本の歌人。
略歴=
出生から右左口村時代=
方代故郷の旧右左口村付近。
右左口峠付近から北西望 正面奥は八ヶ岳
山梨県東八代郡右左口村(現・甲府市右左口町)に生まれる。
父は龍吉(たつきち)、母は「けさの」。
8人兄弟の末っ子で次男。
方代が生まれた時には母が48歳、父は60歳をとうに越していた。
霜のきびしい朝であったそう。
長姉で22歳差の「くま」と4歳差の姉「ひでこ」以外の子を亡くしていた両親は「生き放題、死に放題」 から『方代』と命名。
1920年(大正9年)5月には姉「くま」が結婚し、神奈川県横浜市の關家に移る。
1921年(大正10年)4月、方代は右左口尋常高等小学校(現・甲府市立中道南小学校)へ入学する。
卒業後は実家の桑畑や山仕事を手伝う。
そしてこの頃に姉ひでこが右左口を出て方代は両親と3人暮らしとなった。
1929年(昭和4年)3月、方代は小学校を卒業する。
右左口村では1928年(昭和3年)に正岡子規の門下生であった遠戚、田中鶏助の倅である田中睦男が中心となった歌会「地上」が発足し、方代は1932年(昭和7年)に最年少で入会する。
2月頃の第三回歌会に1首(号、山崎一輪)出詠。
(現在判明している方代最初の短歌) 号の 『一輪』という名は山竜胆の澄んだ紫の一輪を好んでいた事に由来する。
1934年(昭和9年)には『山梨日日新聞』新年文芸に ……
山崎方代さんが亡くなってから、40年と105日が経ちました。(14715日)



