岸本才三 氏(きしもとさいぞう)
ヤクザ、元山口組最高顧問[日本]
2014年 1月17日 死去享年86歳
岸本 才三(きしもと さいぞう、1928年〈昭和3年〉5月15日 - 2014年〈平成26年〉1月17日)は、日本の元海軍航空隊員、元公務員、元ヤクザ。
指定暴力団・六代目山口組最高顧問、岸本組組長。
兵庫県神戸市出身。
来歴=
兵庫県神戸市に農家の息子として生まれる。
海軍航空隊を志願するが出撃前に終戦を迎え、復員後に神戸市交通局に入庁し昭和36年(1961年)まで籍を置いている。
三代目山口組(組長は田岡一雄)入りしたのは昭和30年(1955年)頃で、中山組・中山一美組長(後に山口組若頭補佐)の舎弟となっている。
その後昭和48年(1973年)12月に田岡一雄から盃をもらい、山口組直参となり、翌年には組長秘書になった。
昭和57年(1982年)2月4日、大阪市生野区の今里胃腸病院で、山口組若頭山本健一は、肝硬変に腎不全を併発して死去した。
これを切っ掛けに山口組四代目跡目問題が浮上した。
岸本才三は、山口組四代目に竹中組・竹中正久組長を推すグループに属した。
→詳細は「山口組四代目跡目問題」を参照山口組の中では特に宅見勝と行動を共にした。
昭和59年(1984年)6月5日午後3時、山口組直系組長会で、竹中正久は、山口組四代目組長就任の挨拶をした。
同年6月23日、岸本才三は筆頭若頭補佐兼本部長に就任した。
昭和59年(1984年)8月5日、山一抗争が勃発した。
昭和63年(1988年)6月ごろ、山口組五代目跡目問題が浮上した。
平成元年4月下旬、岸本才三は神戸市花隈 ……
岸本才三さんが亡くなってから、10年と308日が経ちました。(3961日)