宅見勝 氏(たくみまさる)
ヤクザ、五代目山口組若頭、宅見組初代組長[日本]
1997年 8月28日 死去射殺享年61歳
宅見 勝(たくみ まさる、1936年〈昭和11年〉6月22日 - 1997年〈平成9年〉8月28日)は、20世紀に活動した日本のヤクザ。
指定暴力団・五代目山口組若頭であり、山口組有力団体・宅見組の創設者。
神戸出身。
山一抗争(1984年 - 1989年)や八王子抗争(1990年)、山波抗争(1990年)およびに中野会会長襲撃事件(1996年)などの抗争事件や、山口組五代目跡目問題(1988年 - 1989年)に当事者として関与。
1997年に中野会組員に暗殺された。
人物=
バブル期を通して金融や不動産などのフロント企業を使い蓄財した2,000億円とも言われる豊富な資金を背景に、渡辺芳則を首領に据えた五代目山口組の発足(1989年)に立役者として関与。
以後、山口組のナンバー2にあたる若頭として構成員3万6千名を擁する山口組の事実上の仕切り役として活動し、山口組を近代的な組織に創り上げる他、“山口組の金庫番”とも呼ばれた。
来歴=
生い立ち=
宅見が大物ヤクザになる以前の無名時代についての根本資料は「大阪府警が1984年(昭和59年)5月に作成した、宅見の司法警察員面前調書」である。
1984年5月当時の宅見は、三代目山口組 直参若衆(1976年〈昭和51年〉より)。
直後の1984年6月4日に竹中正久が四代目山口組組長となると、同年7月10日、宅見は 四代目山口組 若頭補佐に昇格した。
1936年(昭和11年)6月22日、兵庫県神戸市中央区中山手通1丁目(1984年現在)で洋服仕立店を営む両親の三男として出生。
宅見が国民 ……
宅見勝さんが亡くなってから、27年と85日が経ちました。(9947日)