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中野太郎 氏(なかのたろう)

ヤクザ、中野会会長[日本]

2021年 1月10日 死去享年86歳

元五代目山口組若頭補佐。1936年、大分県日田市に生まれる。若いころより無頼派で鳴らし「喧嘩太郎」「懲役太郎」の異名を持つ。60年ごろ、九州より大阪に移り、名和組を経て山口組内山健組に加入。70年、のちの五代目組長渡邉芳則とともに山口組内に健竜会を設立。会長は渡邉、自身は相談役となる。89年、五代目山口組発足に伴い、山口組直参に。90年、五代目山口組若頭補佐に就任。97年、五代目山口組若頭宅見勝の射殺事件により山口組から破門、さらに絶縁処分を受ける。2003年、脳梗塞で倒れる。05年、五代目渡邉組長の引退、司忍を組長とする六代目山口組体制発足後、自身が率いた中野会を解散し、引退した。

中野会とは? - 中野会(なかのかい)は、大阪市天王寺区に本拠を置いて2005年まで活動した暴力団。かつては神戸市に本部を置き、四代目山口組の三次団体から五代目山口組の二次団体となったが、1997年に絶縁処分を受け独立。やがて暴力団対策法に基づく指定暴力団となるも、2005年に解散。1996年7月に会長の中野太郎が行きつけの理髪店で会津小鉄系組員に銃撃される事件が起きた。当時、山口組若頭であった宅見組組長・宅見勝の仲介で手打ちが行われたが、当事者である中野会会長・中野太郎の意向を一切無視したものであった為、宅見への遺恨を生じさせた。1997年8月、中野会傘下の組員3名が、神戸市中央区の新神戸オリエンタルホテルにて宅見を射殺する事件が発生した。その際に、隣の席に座っていた一般人の歯科医の頭部に流れ弾が的中し、6日後に死亡したこともあり、中野会は、本家の山口組から同年9月に絶縁とされた。絶縁後も山口組からの襲撃か絶え間なく続き、1999年9月にナンバー3の若頭・山下重夫が、2002年4月にはナンバー2の副会長・弘田憲二が沖縄で射殺された。そのような事態となっても、中野会会長・中野太郎は、組員が激減するも組織を解散せずに踏み止まっていたが、2005年に山口組五代目組長・渡辺芳則が引退し、六代目・篠田建市が襲名したのを機に、竹中組組長・竹中武の仲介を受け、中野会の解散を決意、2005年8月7日、大阪府警に解散届が提出された。

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  • タイトル
    悲憤
    種別
    単行本
    著者
    出版社
    講談社
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中野太郎さんが亡くなってから、3年と77日が経ちました。(1173日)