谷田絹子 氏(たにだきぬこ)
元バレーボール選手[日本]
(1964年東京五輪金メダリスト)
2020年 12月4日 死去脳出血享年82歳
谷田 絹子(たにだ きぬこ、現姓:井戸川、1939年9月19日 - 2020年12月4日)は、日本の元女子バレーボール選手。
1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト。
東洋の魔女 (Oriental Witches) の主力メンバー。
来歴=
大阪府出身。
四天王寺高校時代に、中野尚子、藤森節子とともに高校生三羽烏と呼ばれた名選手。
一時怪我のため調子を落としたが猛練習で克服し、東洋の魔女のレギュラーとなった。
キレのよいスパイクが特徴である。
のちに、当時の猛練習、それを指導した監督・大松博文のことを回想している。
1964年、東京オリンピックのバレーボール競技において、エーススパイカーとして金メダル獲得に大いに貢献した。
第20回国民体育大会バレーボール競技出場のためのチーム「富士クラブ(フジクラブ)」のオーナーに淡島千景が就き、その後は淡島の事務所の職員となって東京で同居もする。
谷田の母が死去した30歳の時、地元に帰り家庭を持って子宝にも恵まれる。
2018年時点でもバレーコーチとしても活動していたが、2020年12月4日に脳出血の為死去したことが報じられた。
81歳没。
球歴=
全日本代表としての主な国際大会出場歴
オリンピック - 1964年
世界選手権 - 1960年、1962年
所属チーム=
四天王寺高校
日紡貝塚(-1964年)
参考文献=
VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1964年10月号 45ページ
谷田絹子さんが亡くなってから、4年と119日が経ちました。(1580日)