脇本楽之軒(わきもとらくしけん)
美術史家[日本]
1963年 2月8日 死去享年79歳
明治16年9月19日山口県防府市中関の生まれ。本名・脇本十九郎。京都市立美術工芸学校に入学したが中途退学して上京。明治35年ごろから藤岡作太郎に国文学、中川忠順に美術史を学んだ。大正4年美術攻究会を創立し、美術史研究のかたわら万朝報、東京朝日新聞に現代美術評論を執筆した。大正6年より同9年まで文部省嘱託として国宝調査に当り、同11年から昭和12年まで国宝全集の編集に従事、昭和6年より同8年まで美術研究所嘱託となり、「美術研究」に多くの論文を発表した。昭和11年美術攻究会を東京美術研究所と改め機関誌「画説」(のち「美術史学」と改題)を刊行、絵画、陶磁器等に関する研究論文、作品解説、史料紹介の筆をとった。昭和20年東京美術研究所を閉鎖、東京美術学校講師、同22年教授となり日本美術史を講じた。同24年国立博物館次長となったが間もなく辞任。同25年東京芸術大学教授となり、同34年停年退職。同37年名誉教授の称号を授与された。なお、昭和12年重要美術品等調査委員、同20年国宝保存会委員、同25年文化財専門審議会専門委員となり文化財保護行政にも功績があった。同37年古美術研究および現代美術評論に関する業績により紫綬褒章を授与され、逝去に際し正4位勲4等瑞宝章を贈与された。水墨画・文人画および京焼の研究に業績が大きく、著書に「平安名陶伝」(大正10年洛陶会)がある。(参照元・日本美術年鑑 昭和39年版)
脇本楽之軒が亡くなってから、62年と98日が経過しました。(22744日)